いつの間にやら、陽が落ちるのが早くなった。
時刻的に早まったというのではなく、
去りゆく夏の、往生際の悪い残暑が垂れ込める夕方、
黄昏の余光も十分に楽しめはするのだが。
あっと気がつけばもう、窓の外は暗く、
灯火を点けねば手元足元が覚束ぬほどとなっており。
それだからだろうか、
深みのある藍色の夜空に浮かぶ月が、
一際 目映く照り映えていて。
昼間日中のあれほどの残暑を拭い去る、
心地よくも涼しい夜風と共に、
りぃりぃ・ちろちろ、
軽やかな虫の奏でなぞ聞こえて来ては。
血の気の多い年代の者らとしては、
じっとしているのが勿体ないと思えてしまう。
さわさわと頬をなでる夜風に後押しされながら、
秋の夜長に迷い出て、
恋の冒険の一つでも拾えれば重畳と。
そんな浮かれたことをば甘酸っぱく思う若様だろう、
やつして見せても元は上物の牛車を雑仕らに引かせ。
夏の間は酷暑に削られまくりだった気力を奮わせて、
夜中の大路を北へ南へ、駆け回るのだからお元気なことよ。
「……いかがした?」
随分と静かな場末の路地に入った途端、
主人への声かけもないまま、
唐突に停まってしまったこちらの牛車もまた、
連れの仕丁らに若いのを揃えた、
いかにも夜遊びに繰り出しましたという匂いが、
簾の向こうからぷんぷんとしそうな網代車で。
どこぞかの屋敷を囲む漆喰の白壁に沿って、
一応はこそこそと息をひそめさせての徘徊中。
あちらの屋敷に妙齢の娘がいると聞けば、我も一目拝みたいと馳せ参じ。
こちらの館には憂い顔が色っぽい未亡人がいると聞けば、
かき口説いて仲間内での自慢にしたいと胸騒がせる、
まま今時には特に珍しくもないクチの、
“やることないからと、怠惰な色事に駆け回ってる暇人だ、暇人。”
おおう、そこまで言いますかい。
お声の主を捜して見れば。
あとちょっとで望月という真珠色の月影を背に負うて、
どなたのだかまでは知らぬが、
なかなかに大きな作りのお屋敷の屋根の上、
危なげなく胡座をかいて座っている誰か様がおいで。
酷暑の間は、下着同然という薄着でいたものが、
夜風の涼しさとそれから、
様々に唱える咒の威力が無駄に放出されぬよう、
はたまたその作用や、邪妖の抵抗や反撃に備えるため。
正装に近い装い、
厚手の絹で仕立てた直衣をまとっているのだが。
ご当人が相変わらずの痩躯でござるためか、
借り着に埋もれているように見えるのが、
“いかんな、ここで噴いたら半月は愚痴られる。”
とあるお人にだけは微妙に困りものだったりするのだが、
今はそっちもさておいて。
「…………。」
切れ長の目許をそおと伏せ、
月の子のような金の双眸を
白いまぶたの内へと隠した、陰陽の術師殿。
そのまま何かしらを念じていたが、
白い頬に落ちていた月光が
不意に音もなく すうと冴え出して。
「天に蒼月、地に草木。
縁(えにし)を結ぶ、風の緒くぐり、
人の和子をば遠ざけん楔(くさび)をこれへ。」
術者の力の手っ取り早い具現化を導く、
略式の咒を唱えると。
その懐ろから咒弊を数枚、
細い指先で摘まむように引っ張り出した蛭魔であり。
純白の紙弊は一瞬、風になびいてはたはたと躍ったが。
それらを挟んだままな指を蛭魔が鳴らすと、
ピンと張っての真っ直ぐ立って。
月の蒼光を吸ったように、輪郭を青々と光らせ始める。
それらを横ざまに、風を切るよに宙へと投げれば、
次々に夜陰の中へと吸い込まれてゆき。
「な、何なんだ。一体どうした。」
一向に返答がないのを不審に思ったらしい主人が、
進行方向に降ろされていた簾をとうとう持ち上げると、
そろと顔出し、周囲を見回したのだが。
《 置いてけぇ〜。》
「…ひ。」
月光に白く晒された道の縁、
白壁の陰が落ちての黒々染める澹(あわ)いから、
何やら不気味な声がして。
何だなんだと目許を眇め、
夜陰の中をまさぐるようにして確かめかかった公達の鼻先へ、
ふわんと浮いた青緑の怪しい光
炎の尾を引き、ゆらゆらふわふわ。
迷子のように覚束なさげに躍る燐光は、
生き物のように宙をさまよい。
公達の若いのが、
ひええっと慄き、尻から後じされば。
《 こっから去らねば、お尻を咬むよ?》
すぐの真後ろからいきなり聞こえた甲高い声があり。
しかもしかも、生暖かい濡れたものが、
ぴちゃりと耳元に触れたからには、
――― ぎゃああぁぁっっ!!
大きな声を出すなんて、貴族の子息にはあるまじき不調法。
とはいえ、何か判らぬものへの恐怖ほど、
桁の計れぬ恐ろしさもなくて。
それでなくとも、大した器量があったでなし。
面白おいしいことにしか縁のなかったのだろ、
世間の狭い若いのだけに。
得体の知れない経験に、そのまま背条を凍らせると、
「これっ、お前らっ。
早よう立たぬか、早よう帰るぞ。」
居ても立ってもいられなくなったのだろう。
今にも泣き出しそうな必死の声立て、
惚けたように立ち尽くしている従者らに叱咤を浴びせ、
やっとのこと、眠りから覚めたように動き始めた侍従らを急かし、
大路から大慌てで駆け去ってゆき。
「…………………情けない奴輩よの。」
はぁあと気が抜けたよな吐息を屋根の上にてついておれば、
「おやかま様vv」
塀の上、庭の木立を経由して、
ぴょこたんと跳ねて来た白っぽい影があり。
「おお、くうか。」
「くう、じょじゅだった?」
「ああ。上手に追い払えたの。」
蛭魔が咒により侍従らを凍らせたその隙に、
こっそりと牛車にもぐり込み、
うら若き公達の背中へ張りつき、
耳をぺろりんと舐めてやったらしい仔ギツネ様。
「蛭魔、結界の楔、西も張れたぞ。」
「お師匠様、南の塚も覆えました。」
「よぉっし、そんじゃあ本番いくか。」
ったくよ、ああいうのがウロウロしやがっては、
人の仕事の邪魔ァしやがってよ。
いっそのこと、
馬鹿息子も一緒くたに封印したろうかと
どんだけ思ったことか、と。
白い拳をぐぐっと握りしめ、
追加が要るかもと手にしていた封咒の弊を、
ついつい握りしめかかるのを、
「わあ、いけませんてば。」
セナくんが慌てて引き留める。
いたずらに感情が高ぶったまま、そんなことをしたならば。
関係ない咒までが発動しかねないからで。
「…わぁってるよ。」
お怒りを何とか静めたお師匠様、
黒い狩衣姿の蜥蜴の総帥殿の耳を引っつかむと、
「よぉっしゃ、配置につけ。」
「あだだだだだだ………っ。」
本来のお仕事、この屋敷に巣喰う邪妖を封印するため、
夜陰に集った陰陽師ご一家の皆々様。
四方の門をそれぞれで守りつつ、
真ん中の黄柱へ縛り付け、地中深くへ叩き込んだるという、
微妙に荒々しい封じ方を遂行するべく、
その前にと“地均し”していた彼らだったりし。
前振りからして大変ですねと、
天穹の頂から、もうちょっとで真ん丸なお月様が、
苦笑交じりに見下ろしてござった仲秋の晩……。
〜Fine〜 10.09.17.
*なんか大層な壁紙の割に、小さいお話ですいません。
たまには術師らしいお仕事の話も書こうかと思って
準備したのですが、
あまりの暑さで集中力が…。(おいおい)
雨が降って涼しい風も吹いたはずなのに、
今日はまた、残暑復活という暑さでございまして。
いい加減、長袖のシャツを着たいです。
朝っぱらから蚊がすごいから。(笑)
めーるふぉーむvv 

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